朝ドラ『虎に翼』において、第69回(7月4日放送)で穂高先生の最高裁判事退任祝賀会が描かれました。
この回で以下のような展開がありました
- 寅子は桂場から穂高の退任祝賀会の手伝いを頼まれます。
- 寅子は穂高に花束を渡す役目を任されます。
- 祝賀会で穂高は「結局、私は大岩に落ちた雨だれの一滴にすぎなかった」などとあいさつします。
- この言葉を聞いた寅子は怒りを抑えきれず、花束を渡す前に会場を出てしまいます。
その後、寅子は穂高に対して激しい怒りをぶつけます。
怒りの理由
寅子は「先生に自分も雨だれの一滴なんて言ってほしくありません」と怒りをあらわにしました。
怒りの理由としては以下のことが考えられます。
- 寅子は穂高先生の功績を高く評価しており、先生自身がそれを過小評価することに納得できなかった。
- 寅子にとって穂高先生は単なる恩師以上の存在で、親子のような関係性があった。
- 寅子の怒りの根底には、穂高先生への深い愛情と敬意があった
伊藤沙莉さんの解釈
伊藤沙莉さんは、この怒りのシーンについて以下のように語っています
「きっと寅子は、穂高先生のあいさつを聞いて『今までやってきたことすべてが雨だれの一滴だと言うの? すごいことを成し遂げた先生を尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!』と感じたんですよね。」
「怒っているときって、根底にあるくやしい気持ちや悲しみ、恥ずかしさなどが怒りとして表れているんだと思うんです。ここでも寅子の声色や温度感は怒りに見えますが、根底にある先生への愛と敬意が怒りとして表れたと捉えていただけたらうれしいです」
寅子は以前にも穂高先生に怒ったことがあった
第38回(5月22日放送)で、寅子は妊娠したことで法曹界での女性の道を途絶えさせたくないと主張したのに対し、穂高先生が以下のような主旨の発言をしたことがありました
- 結婚した以上、出産と育児が最優先の務めである
- 「世の中、そう簡単には変わらんよ。『雨垂れ石を穿(うが)つ』だよ、佐田君。君の犠牲は、決してムダにはならない。」
この時、寅子は自身を法曹界に導いてくれた穂高先生に「はしごを外された」ような気持ちになりました。
この出来事が、今回の退任祝賀会での寅子の激しい怒りの遠因になっていると考えられます。寅子は穂高先生に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ちつつも、女性の生き方について深いわだかまりを抱えていたのです
穂高先生自身が雨だれの一滴だった
穂高先生の退任式が描かれたおなじ週のあいだに、昭和25年(1950年)10月11日に行われた最高裁判所での尊属殺重罰規定(刑法第200条)の判決についても描かれました。
尊属殺重罰規定(刑法第200条)は、1907年(明治40年)に制定された刑法典に含まれていました。
この規定は、直系尊属(父母、祖父母など)を殺害した場合、通常の殺人罪よりも重い刑罰を科すものでした。具体的には、死刑または無期懲役のみを法定刑として定めていました。
親子関係の尊重や孝道の奨励などを目的としていた。
尊属(親など)を殺害した場合に通常の殺人罪よりも重い刑罰を科す刑法の規定が、憲法14条の法の下の平等に反するかどうかが争点となっていました。
憲法14条は以下の内容です。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。
当時の社会では、親子関係の複雑さや、親を殺すに至る様々な事情が考慮されるべきだという議論がありました。
新憲法(日本国憲法)の下で、旧来の価値観と新しい平等原則との間で調整が必要とされていました。
このとき多数が尊属殺重罰規定(刑法第200条)を「人倫の大本、人類普遍の原理」に基づくものとして合憲(尊属殺人罪を通常の殺人罪と区別して重く罰すること自体は、憲法14条の平等原則に違反しないという判断)としたため、このあとも尊属殺が合憲であるとの判例が積み重なっていきます。
この判断の背景には、尊属殺人は通常の殺人と比べて、一般に高度の社会的道徳的非難に値するものとして、これを厳重に処罰して特に強く禁圧しようとする立法目的があり、それ自体は不合理ではないという考えがありました。
穂高先生は15人のうち2人の違憲の立場を表明していました。
寅子はこの件の穂高先生についてこう話しています
判例は残る。例え2人でも、判決が覆らなくてもおかしいと思った人の声は決して消えない。その声がいつかだれかの力になる日がきっと来る。何度落ち込んでで腹が立ったって私も声を上げる役目を果たし続けなきゃね。
穂高先生自身が退任式のときに「雨だれの一滴だった」といった背景にはこういう出来事があったからでした。
キーワードは”雨垂れ石を穿つ”
穂高先生の「雨だれの一滴」は決して自分自身を過小評価したものではなかったのではないかと私は考えています。
この尊属殺は父親殺しのみいこの話につながっていくからです。
わたしたちはこのドラマをとおして、「雨垂れ石穿つ」を見せられてきたと言っても過言ではありません。
穂高先生のときには果たせなかった「尊属殺重罰事件」の石に、およそ20年の時を経て桂場が最高裁判官の時代に穴を空けることができました。
わたしたちは寅子にとっては未来人でありその先のストーリーも知ることができます。
刑法200条が完全に削除されたのは、1995年のことでした。
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